競馬における回収率を減少させる要因:学術的知見に基づく考察
競馬は、その予測不可能性と興奮から、世界中で多くの人々を魅了する娯楽です。しかし、競馬で安定して利益を上げることは容易ではありません。馬券購入において「回収率」は収益性を測る上で重要な指標ですが、多くの場合、期待値を下回る結果に終わります。
本稿では、競馬における回収率を減少させる要因として、学術的に明らかになっている要素について解説していきます。
1. 穴馬への過剰な選好(ロングショットバイアス)
ロングショットバイアスとは、客観的な勝率と比較して、低い勝率の馬(穴馬)の馬券に過剰な賭けが集まる現象を指します。このバイアスは世界中の競馬市場で一貫して観察されており、回収率低下の主要な要因と考えられています。
なぜ人々は穴馬に過剰に賭けてしまうのでしょうか。学術的には、主に2つの要因が指摘されています。
- 信念の異質性: GandhiとSerrano-Padial(2015)は、競馬市場には、正確な信念を持つ「カノニカルトレーダー」と、そうでない「ノイズトレーダー」の2種類の賭け手がいると仮定しました。前者は合理的な判断を下せますが、後者は信念にばらつきがあり、その結果、穴馬のオッズが本来よりも高くなってしまうのです。彼らの実証分析は、このノイズトレーダーの存在がロングショットバイアスを説明する上で重要な役割を果たしていることを示唆しています。
- リスク選好: リスク愛好的な人ほど、低い確率で高いリターンを得られる可能性に魅力を感じ、穴馬に賭けてしまう傾向があります。彼らにとって、高額配当の可能性は、期待値の低さを上回る魅力を持つと考えられます。
ロングショットバイアスの結果、穴馬のオッズは低下し、的中時の払い戻しも減少するため、結果的に回収率の低下につながります。
2. ブックメーカーの利益構造
ブックメーカーは、賭けの控除率を設定することで利益を確保しています。控除率とは、賭け金総額から払い戻し総額を差し引いた金額の割合を指し、控除率が高いほど、賭け手の回収率は低下します。
Whelan (2024) は、ブックメーカーがリスクとリターンのトレードオフを行い、リスクを最小限に抑えつつ利益を最大化するようにオッズを設定すると論じています。特に、勝率の低い馬に対しては、オッズを低く設定し、高い配当率を設定することで、損失を抑制する傾向があります。
3. 情報のコストと非対称性
競馬において、すべての賭け手が完璧な情報を平等に得られるわけではありません。情報収集にかかるコストや、特定の賭け手が質の高い情報を持っている場合、情報格差が生じます。
例えば、馬の血統、騎手の能力、過去のレース成績などは、馬券の予想に役立つ情報ですが、これらの情報を収集するには時間と労力が必要です。
情報優位にある賭け手は、その情報を活用して利益を上げる可能性がありますが、情報を持たない、あるいは質の低い情報しか持っていない賭け手は、不利な立場で賭けをすることになり、回収率が低下する可能性があります。
4. 賭け手の心理的バイアス
競馬の馬券購入は、確率や統計に基づいた合理的な判断だけでなく、心理的なバイアスの影響も受けやすいと言われています。
- 損失回避バイアス: 人は一般的に、利益を得ることよりも損失を避けることを強く意識します。このバイアスは、賭けにおいても影響を与え、負けが込んでいるときに、それを取り戻そうと、よりリスクの高い賭けをしてしまうことがあります。
- 確証バイアス: 人は、自分の既存の信念に合致する情報ばかりを集め、反対の情報は見ないようにしてしまう傾向があります。競馬においても、自分の予想に反する情報や、他の馬の有利な情報を見落としてしまい、誤った判断を下してしまうことがあります。
これらの心理的バイアスは、非合理的な馬券購入につながり、結果として回収率の低下を招く可能性があります。
5. 地方競馬における裁定取引の可能性
Ashiya (2010, 2015) は、日本の地方競馬において、異なる種類の馬券の組み合わせによって、理論上は必ず利益が出るような賭け方 (裁定取引) が可能なケースが存在することを指摘しています。これは、地方競馬では馬券の売上額と発走頭数が少なく、オッズの歪みが生じやすいためです。
しかし、これらの裁定取引の機会は、現実には、
- 馬券購入によるオッズの低下
- 馬券の最小購入単位
- インターネット投票システムの普及による裁定機会の減少
などによって、利用が難しい場合が多いとされています。
結論
競馬における回収率は、ロングショットバイアス、ブックメーカーの利益構造、情報のコストと非対称性、賭け手の心理的バイアスなど、様々な要因によって影響を受ける可能性があります。
これらの要素を理解し、冷静かつ客観的な判断を下すことで、回収率の向上を目指せるかもしれません。
参考文献
- Snowberg, E., & Wolfers, J. (2008). Examining explanations of a market anomaly Preferences or perceptions. In Handbook of sports and lottery markets (pp. 103-136). Elsevier.
- Snowberg, E., & Wolfers, J. (2010). Explaining the favorite–long shot bias Is it risk-love or misperceptions. Journal of Political Economy, 118(4), 723-746.
- 芦谷政浩. (2010). 「穴馬への過剰な選好 (longshot bias)」 に関するサーベイ. 国民経済雑誌, 202(2), 13-28.
- Ashiya, M. (2015). Lock! Risk-free arbitrage in the Japanese racetrack betting market. Journal of Sports Economics, 16(3), 322-330.
- Whelan, K. (2024). Risk aversion and favourite–longshot bias in a competitive fixed-odds betting market. Economica, 91(361), 188–209.
- Gandhi, A., & Serrano-Padial, R. (2015). Does belief heterogeneity explain asset prices The case of the longshot bias. The Review of Economic Studies, 82(1), 156-186.