2025年ムーランドロンシャン賞:欧州マイル王の座を賭けた頂上決戦
秋の欧州競馬シーズンの幕開けを告げる最高峰の一戦、ムーランドロンシャン賞(G1)が今年もパリロンシャン競馬場を舞台に開催される。夏のジャック・ル・マロワ賞と双璧をなすフランスのマイル路線の頂点として、その年の欧州最強マイラーを決定づける重要な意味を持つレースだ 。過去には歴史的名牝ゴルディコヴァや、近代最強マイラーと謳われたバーイードといったレジェンドたちがその名を刻んできた 。
日本の競馬ファンにとって、このレースは特別な記憶と共に語られる。1994年、武豊騎手がスキーパラダイスに騎乗し、日本人騎手として初の海外G1制覇という金字塔を打ち立てた舞台でもあるからだ 。この歴史的な快挙以来、日本調教馬も挑戦を続けてきたが、2003年のローエングリンの2着が最高着順であり、未だ勝利には手が届いていない 。
そして迎える2025年、今年のムーランドロンシャン賞は三つの大きな物語を中心に展開する。一つ目は、3歳世代の筆頭格アンリマティスと、古馬の絶対王者ロザリオンによる世代を超えた頂上対決。二つ目は、日本から単身フランスに乗り込み、前哨戦で欧州の強豪相手に互角の走りを見せたゴートゥファーストの挑戦。日本調教馬として初の栄冠を掴むことができるのか、大きな期待が寄せられている 。そして三つ目は、数々の名馬を苦しめてきたパリロンシャン競馬場特有のタフなコースがもたらす戦術的な複雑さである。
本稿では、これらの核心的なテーマを軸に、コースの特性、各有力馬の能力と適性、そして国内外のオッズが示す市場の評価を多角的に分析し、2025年ムーランドロンシャン賞の勝ち馬に迫る。
攻略の鍵は「偽りの直線」にあり:パリロンシャン芝1600mコース徹底解剖
ムーランドロンシャン賞を予想する上で、出走馬の能力評価と同じくらい、あるいはそれ以上に重要なのが舞台となるパリロンシャン競馬場・芝1600mコースへの理解である。このコースは単なるスピードだけでは攻略不可能な、総合力が問われる極めて難解な設計となっている 。
パワーが試される上り坂のスタート
レースは、スタンドから見て左奥、「プチボワ(小さな森)」と呼ばれる木立の中からスタートする。この地点はコース全体の上り坂の頂上付近にあたり、ゲートが開いた直後から各馬はパワーを要求されることになる 。平坦なコースでのダッシュ力に秀でた馬でも、この序盤の攻防でリズムを崩される可能性がある。
折り合いが鍵となる下り坂のコーナー
スタートから約400mで最初のコーナーを迎えると、コースは一転して緩やかな下り坂に入る。ここで騎手は馬をリラックスさせ、スタミナを温存させなければならない。行き脚がつきやすい下り坂で馬が掛かってしまうと、最後の直線で余力を失うことになるため、人馬の呼吸が極めて重要となる 。
勝負の分水嶺「フォルスストレート(偽りの直線)」
このコースを象徴するのが、3コーナー過ぎから現れる「フォルスストレート(偽りの直線)」だ 。約250m続くこの区間は、一見すると最後の直線のように見えるため、経験の浅い騎手や馬はここでスパートを仕掛けてしまいがちだ。しかし、本当のゴール板はずっと先にある。ここで焦って脚を使ってしまった馬は、最後の本当の直線で失速する運命が待っている。
スタミナが問われる533mの最終直線
偽りの直線を抜けた先にあるのが、533mに及ぶ平坦な最終直線である 。その長さは日本の東京競馬場に匹敵し、ここで最後の激しい攻防が繰り広げられる。コース全体での高低差は約10m。これはJRAで最も起伏が激しいとされる中山競馬場の5.3mの約2倍に相当する数字であり、マイルという距離以上のスタミナが求められることを示唆している 。ドーヴィル競馬場の平坦な直線コースで行われるジャック・ル・マロワ賞が純粋なスピード能力を問うのに対し、このムーランドロンシャン賞はパワーとスタミナを兼ね備えた「総合力のマイラー」でなければ栄冠を手にすることはできないのだ。
出走馬徹底分析:データと近走から見る有力馬評価
このタフなコースを攻略するのはどの馬か。各有力馬の戦績、近走の内容、そしてコース適性を詳細に分析する。
A. 世代最強マイラーの証明へ:アンリマティス (Henri Matisse)
アイルランドのA.オブライエン厩舎が送り出す3歳牡馬。名手R.ムーアを主戦とし、通算成績10戦6勝2着2回3着1回と抜群の安定感を誇る 。海外ブックメーカーの平均オッズでも3.9倍と、最も高い支持を集めている。
強み: この馬の最大の武器は、他馬を圧倒するコース適性にある。今年5月の仏2000ギニー(G1)を、このムーランドロンシャン賞と全く同じ舞台で制しているが、その勝ち時計1分33秒91は従来のコースレコードを更新する驚異的なものだった 。一度経験しただけでなく、歴史上最速の時計で走り抜けたという事実は、このコースの起伏や偽りの直線といったトリッキーな要素を完全に掌握している証左と言える。良馬場、稍重馬場では一度も馬券圏内を外しておらず、馬場状態にも不安はない 。
近走分析: 前走のサセックスS(G1)では3着に敗れたが、このレースは展開に特殊な事情があった。レースは150-1という超大穴のペースメーカーが逃げ切り勝ちを収めるという異例の結果となり、後方で脚を溜めていた有力馬勢は完全にペースを読み誤った 。そのような特殊な展開の中で、ライバルのロザリオンに次ぐ3着を確保したことは、むしろ能力の高さを示している。
評価: コースレコードホルダーという絶対的なアドバンテージを持つ、優勝最有力候補。オブライエン厩舎とムーア騎手のコンビは、このコースでこの馬を勝たせるための「勝利の方程式」を既に熟知している。他馬がコースへの対応に苦慮する中、確立されたプランを実行できる点は大きな強みとなるだろう。
B. 巻き返しを誓う古馬の雄:ロザリオン (Rosallion)
イギリスのR.ハノン厩舎に所属する4歳牡馬。G1・3勝の実績を誇り、アンリマティスと人気を二分する存在だ 。通算成績11戦5勝3着2回と、こちらもトップクラスの実績を誇る 。
強み: 数々の大レースを戦い抜いてきた経験値と、世代トップクラスの能力が武器。特に、前走のサセックスSではアンリマティスに先着する2着に入っており、直接対決で勝利している点は大きな強調材料となる 。また、2歳時にはこのパリロンシャン競馬場で開催されたジャンリュックラガルデール賞(G1、1400m)を制しており、コース経験も有している 。
懸念点: 唯一の不安は、前哨戦として予定していたジャック・ル・マロワ賞を蹄の打撲により直前で回避している点だ 。陣営は軽度のものと発表しているが、G1レースを前にして調整過程に狂いが生じたことは事実であり、100%の状態で出走できるかどうかが鍵となる。この不確定要素が、アンリマティスに対してわずかに評価を下げている最大の理由と考えられる。
評価: 能力的にはアンリマティスと互角かそれ以上。万全の状態であれば、こちらが主役を張ってもおかしくない。直接対決での勝利という実績を考えれば、アンリマティスとの評価の差は、この直前のアクシデントに対するリスクの差と見るべきだろう。
C. 日本の期待を背負う挑戦者:ゴートゥファースト (Go To Fast)
栗東・新谷功一厩舎から参戦する日本の5歳牡馬。日本国内で着実に力をつけ、満を持して欧州の頂に挑む 。この馬の評価は、国内外のオッズに顕著な差として表れており、日本のnetkeibaでは5.1倍という高い支持を集める一方、海外の平均オッズでは29.4倍と、穴馬の一頭という扱いになっている。
近走分析: この評価の乖離を生んでいるのが、前走ジャック・ル・マロワ賞(G1)での走りだ。初海外、初G1挑戦ながら、世界の強豪相手に勝ち馬から大きく離されない5着と健闘 。この内容は、日本のファンに「次走は更にやれる」という期待を抱かせるには十分なものだった。
血統的魅力: ゴートゥファーストの最大の魅力は、その血統背景にある。父はルーラーシップ 。キングカメハメハ産駒の同馬は、自身も中長距離で活躍し、産駒にも豊富なスタミナを伝える傾向がある。前走の舞台であったドーヴィル競馬場の平坦な直線マイルとは異なり、パワーとスタミナが要求される今回のパリロンシャン競馬場のコースは、まさにこの馬の血統的な長所を最大限に引き出す可能性がある。
評価: 海外オッズが示す以上に、勝利に近い存在かもしれない。前走で欧州のレースに適応できることを証明し、今回は血統的にベストマッチと言える舞台に変わる。日本のファンが寄せる高い期待は、単なる応援心理だけではなく、この血統とコース適性という明確な根拠に基づいている。馬券的には最も妙味のある一頭と言えるだろう。
D. 充実期を迎えた実力馬:ダンシングジェミナイ (Dancing Gemini)
イギリスのR.ティール厩舎が管理する4歳牡馬。派手さはないが、常にG1戦線で堅実な走りを見せている 。
近走分析: 前走のジャック・ル・マロワ賞では、ゴートゥファーストに先着する3着と好走 。ロッキンジS(G1)2着など、今シーズンに入って本格化した印象を受ける。
評価: 上位二強を脅かすまでには至らないかもしれないが、現在の充実ぶりから馬券圏内(3着以内)の有力候補と見るべきだろう。安定感があり、大崩れは考えにくい。
E. 名伯楽が送り出す刺客:アルカントール (Alcantor)
フランス競馬界の至宝、A.ファーブル調教師が管理する4歳牡馬 。ゴートゥファーストと同様に、国内外でオッズに大きな差が出ている(日本8.8倍、海外23.0倍)。
強み: この馬の戦績を分析すると、明確な特徴が浮かび上がる。それは、時計のかかる馬場への適性だ。重馬場や不良馬場で行われたレースではG1で2着、G3を2勝するなど素晴らしい成績を残している一方、良馬場では掲示板に載るのがやっとという状況が続いている 。
評価: 馬場状態が全てを左右する「条件付き」の有力馬。レース当日の馬場が良馬場であれば苦戦は免れないが、もし雨が降り、タフな馬場になれば一変する可能性がある。日本のファンが高いオッズをつけているのは、ファーブル調教師の手腕と、馬場が悪化した際の「一発」を警戒してのことだろう。当日の天気予報は必ずチェックしたい。
オッズの歪みを探る:国内外の評価ギャップから見える馬券のヒント
ブックメーカー各社のオッズを比較すると、市場がこのレースをどう見ているかが浮き彫りになる。特に、日本と海外の評価が大きく異なる馬の存在は、馬券戦略を立てる上で極めて重要なヒントとなる。
表:2025年ムーランドロンシャン賞 主要ブックメーカーオッズ比較
ゲート | 馬番 | 馬名 | Bet365 | Betfair Exchange | Paddy Power | William Hill | Sky Bet | 海外オッズ平均 | netkeiba | 日本オッズ / 海外オッズ |
5 | 1 | マハバヤサナフィ | 34 | 40 | 21 | 34 | 21 | 30.0 | 147.6 | 492.00% |
1 | 2 | クドワー | 9 | 13 | 21 | 13 | 21 | 15.4 | 49.1 | 318.83% |
11 | 3 | ロザリオン | 3.75 | 3.8 | 3.25 | 3.75 | 3.25 | 3.6 | 9.6 | 269.66% |
9 | 4 | ダンシングジェミナイ | 6.5 | 6.5 | 6 | 6 | 5.5 | 6.1 | 12.6 | 206.56% |
7 | 5 | ゴートゥファースト | 17 | 36 | 34 | 26 | 34 | 29.4 | 5.1 | 17.35% |
10 | 6 | リードアーティスト | 8 | 8 | 6 | 8.5 | 5.5 | 7.2 | 48.5 | 673.61% |
12 | 7 | パーシカ | 34 | 42 | 34 | 34 | 34 | 35.6 | 63.8 | 179.21% |
3 | 8 | アルカントール | 21 | 26 | 21 | 26 | 21 | 23.0 | 8.8 | 38.26% |
6 | 9 | サーラン | 15 | 22 | 21 | 17 | 21 | 19.2 | 35.5 | 184.90% |
4 | 10 | ザライオンインウィンター | 11 | 13 | 13 | 11 | 11 | 11.8 | 98.6 | 835.59% |
2 | 11 | アンリマティス | 4 | 4 | 3.75 | 4 | 3.75 | 3.9 | 1.3 | 33.33% |
8 | 12 | セレンゲティ | 201 | 250 | 201 | 201 | 201 | 210.8 | 137.8 | 65.37% |
分析:
- 二強の評価: アンリマティス(海外平均3.9倍)とロザリオン(海外平均3.6倍)が抜けた存在であることは、国内外の市場で共通の認識となっている。わずかな差は、前述の通りアンリマティスのコース適性とロザリオンの臨戦過程の不安を反映したものだ。
- ゴートゥファーストの異常値: 「日本オッズ / 海外オッズ」の比率が17.35%と極端に低いゴートゥファーストの評価は、このレース最大の焦点だ。海外市場は前走の結果を額面通りに受け取り、G1では力不足と見ている。一方、日本の市場は、前走の内容と今回の舞台替わりによる上積みを高く評価している。この評価のギャップは、大きな馬券的妙味を生み出している。
- アルカントールの条件付き評価: ゴートゥファーストに次いで評価が分かれているのがアルカントール(38.26%)だ。これも同様に、海外市場は良馬場を前提とした能力評価をしているのに対し、日本の市場は「名伯楽ファーブル」と「馬場悪化」という二つの変動要素に賭ける価値を見出している。
このオッズの歪みは、単なる人気投票ではなく、異なる市場が異なる分析ロジック(実績データ vs ポテンシャル・血統)を重視している結果であり、どちらの視点が正しいかを読み解くことが的中の鍵となる。
レース展開と最終結論:2025年ムーランドロンシャン賞の勝ち馬は?
展開予測: A.オブライエン厩舎はペースメーカーを起用することが多く、サセックスSでもその戦術が見られた 。今回もスローペースの瞬発力勝負になる可能性は低く、序盤から淀みのない流れが予想される。これは、コースの特性と相まって、各馬のスタミナが厳しく問われる展開となることを意味する。パワーと底力を兼ね備えた馬にとって、有利な流れとなるだろう。
最終結論: 勝負は、タフなコースを乗り越え、偽りの直線での仕掛けを我慢し、最後の533mで真の末脚を発揮できる馬に絞られる。
総合的に判断すると、やはりこのコースでレコードタイムを叩き出した実績は揺るがない。アンリマティスは、クラス最高の能力と、この難コースを完璧に乗りこなす術を知っている。最も勝利に近いのはこの馬だろう。
対抗はロザリオン。能力は互角以上であり、アンリマティスを直接対決で破った実績は軽視できない。直前のアクシデントさえなければ本命視していた馬であり、当日の気配次第では逆転も十分に可能だ。
そして、最大の注目株は日本のゴートゥファーストだ。その血統は、このスタミナが問われるパリロンシャンのマイルにこそ真価を発揮するはず。前走からの上積みは確実で、二強の一角を崩す可能性を秘めている。海外オッズを考えれば、積極的に狙う価値がある。
ダンシングジェミナイは安定した取り口で3着候補として有力。アルカントールは、当日の馬場が悪化した場合のみ、連下に加えるべきだろう。
結論:買い目
- ◎ 本命 (Prime Pick): 11. アンリマティス
- ○ 対抗 (Strongest Rival): 3. ロザリオン
- ▲ 単穴 (Potential Upset): 5. ゴートゥファースト
- △ 連下 (Place Contenders): 4. ダンシングジェミナイ, 8. アルカントール(※馬場悪化の場合)
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